不気味で素朴な囲われた世界:西尾維新

明日の朝一番に読もうと思ったけど、期待しすぎて眠れない。仕方なく寝る前に読もうと思ったら、面白すぎて目が冴えてしまった。というわけでいま感想を書いている。
西尾維新の最高傑作である『きみとぼくの壊れた世界』の続編みたいな作品。妹は姉に。兄の友だちは姉の友だちに。饒舌だった病院坂は、寡黙すぎる病院坂に。中二病をこじらせて行き詰っていた様刻くんは、中二病謳歌しているような弔士くんに。ちょうど構造が反転しているようで面白い。最初のページからして改行ゼロ。端から全開で語られる自意識過剰的思考。もう俺の好みすぎて鼻血出そう。サービス満点。
しかし『きみとぼくの壊れた世界』よりもインパクトがないのは、登場人物たちが追い詰められていないからだろうと思う。前作の様刻くんは強迫的に最善手を選び続ける人だったし、くろね子さんは「知らないことがあるくらいなら死んだほうがマシ」だった。夜月は言うまでもなく。彼らには鬼気迫るものがあった。
今作の登場人物は何か追い詰められていたわけでもなければ、必要に迫られていたわけでもない。犯人は「思いついたからやっちゃった」だけだし、弔士くんと病院坂は単に「日常を打破するため」だけに動き回っていた。
壊れた世界の住人よりも囲われた世界の住人のほうが開放的という不思議。海中で必死にもがいている人たちと、箱庭の中を無邪気に走り回る人たち、みたいなイメージか。
が、だからこそインパクト勝負ではなく、じわじわとくる恐怖というのか、そういったものがある。被害者が目覚めたときに犯人がどうしたか、犯人が時計塔のトリックを使った理由、そして被害者が殺された理由。追い詰められてもいないのに「そこまでするか」という。ぞくりとくる。
つまり要するにまとめると一番重要なのは、ラストの病院坂が最高すぎるということだ。
既に3作目が構想されているらしいので、『きみぼく』と『ぶきそぼ』を読み返しつつ楽しみに待っていよう。何年後になるかわからんが。